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25 September

リフレイン

全く更新していなかったこのブログですが、思い出したように 現実逃避 更新して行きたいと思います。




今日1か月に1度のサンチャゴリトミック教室がありまして、久しぶりにチー様はと同年代の日本人のこどもを遊んできました。

リトミックというのは音楽教室のことなのですが、最近とみに日本語の歌が気に入っているチー様は、リトミックもそれはそれはたいそうお喜びのご様子でした。

最近日本語で話せるようになったのが楽しいのか日本語の歌を歌うのが楽しくて仕方がないらしく、一日中なんやら歌を歌っています。

日本語を話せるようになってほしい!と願っていた母としては、もちろん喜ぶべきなのですが

それが ものすごく ワンフレーズで


たとえば、

「マーチったかチッタカタ― こうしんだー マーチったかたーこうしんだー」

という歌は、この部分だけを 文字通りエンドレスで歌い続けるので

きいてる方としては



いつになったら みぎあし君が出るのだ!!!



とイラつくことこの上なく


さらに、最近何故か怒られたり、ちょっと暗い気分になると


「いまは もー うごかないー そのとーけーいー」



と何故か、これも古時計の一番悲しい部分だけを、200回でも繰り返すので


聞いている方も もういたたまれない気分になるわけですが



それでも日本語が全くでない とやきもきしていた頃を思い出せば

文句を言えるはずもなく

母はただ ためいきをつくのみ なのでした。



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31 May

3歳の女の子

3歳までのこどもの成長と、今のこどもの成長見てて、一番違うなーと思うのはここにきてぐぐーーっと感情面がものすごく成長してきたところ。

1歳が天使から猿へ、2歳が猿からこどもへという感じだとすると
3歳はこどもから女の子へという感じ。

今まで全然怖がってなかったものをやたら怖がって見たり
脳内一人劇場でじっと遊んでみたり
細かい感情の変化とか設定の密度がものすごい。

たとえば、この間ディズニーのターザンをちょっと見せたら、大泣き。なんか動物たちが逃げてるシーンが怖かったらしい。たいして怖くないコミカルなシーンでも色々なことを想像して怖くなっているのが最近のパターン。

そうかと思えば、トイレに一人で行くのが急に怖くなったらしく、今までは自分でなんでもできる!と言っていたのに、急に「あたしは赤ちゃんだから」と弱気なことを言ったりして。2歳のときにできたことが3歳になってできなくなったり。

眠そうにしてるから、眠いの?と聞くと「考えてるだけ」とかいうし。

どっかで見たことある人みたいで面白い。

この間も一人遊びしているから、色々聞いてみたところ、彼女にはお姉ちゃんが二人いるらしい。上が5歳で、名前は忘れてしまったけど、別の国に住んでいるらしい。
日本にいるの?お母さん忘れて来ちゃった?と言うと、NONO、日本じゃない。アプマンケ(近くの公園のある場所)にいるの。と難しい顔で教えてくれた。なにやら難しい設定らしかった。

そうかと思えば、今日はミカンを10個もポケットに入れたりなんだりして自分の部屋に持っていくから何をしてるのかと思えば、ミカンを「mi hijo(息子)」と呼んでいて。
よく見たら、ポケットじゃなくて、スカートの中に入れて温めていたらしい。にわとりのお母さんとそのこどもごっこだったようで、そのあと転がったミカンの救出物語が始まっていた。

たまに部屋の隅で誰かと話してるから、だれと話してるの?と聞くと、「魔女」というし。
なんか悪い子がいて、魔女にあの子が悪い子だよ、と告げ口してる設定のようだった。

2歳までは1日一回は公園にいって走り回らないと夜寝れない!!みたいな子だったのに
3歳はすっかり劇団ひとりとおままごとに夢中。
公園に行っても自転車に乗って、砂場で遊ぶくらい。めっきり遊具への関心は薄れてしまった。

いつの間にこんなに一人遊びが出来るようになったのかなあ。

そうかと思えば、「お父さん電気つけっぱなし」とか「お父さん新聞ご飯のとき見たらだめ」とか
「携帯みちゃだめ」とか
やたらとお父さんに厳しくなってて、それもどこかで見たことのある風景。


そうかと思えばお父さんが帰ってきたら一緒に遊んでくれると思って待っているのに、相手にされないとわざと怒られることをして気を引いたりして。

3歳ってもうすっかり女の子だなーと思う今日この頃です。





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26 April

ビッグウェイブがやってきた

3月末に3歳になった娘ですが、ついに待ちに待っていたビッグウェイブがやってきました。

はい、日本語の波です。

3歳-4歳で入学面接試験を受けなくちゃいけないチリの学校事情を不安視してきた我が家は
娘をかなり長い時間保育園に意識的に預けてきました。(なぜなら私が全くスペイン語を話せなかったので)

背景には私がまだ学生だったころ、日本の実家の隣に住んでいたアメリカ人のお母さんとその娘さんのことを見ていたからというのがありました。



その家族は日本人の旦那さんとアメリカ人の奥さんと、娘さんの3人家族でした。
お母さん(英語教師)があんまり日本語を話せなかったこともあり、たぶんお母さんも寂しかったんだと思うのですが、周りに仲の良い友人がいるようでもなかった奥さんが、娘さんと親子二人でずっと英語で話していた結果、娘さんが幼稚園に上がるころになっても日本語が全く話せるようにならず、近所にお友達もできず、田舎だったこともあって、幼稚園も辞めざるをえなくなり
ついにはお母さんがノイローゼになってしまって、離婚してアメリカに帰って行ってしまったということがありました。

言葉の問題がなくても育児ノイローゼになる人だっているのに、周りに家族もいない(義理はいるかもしれないけど)、サポートもない状況でどれくらい大変だっただろうかと、今にして思えば想像に難くないのですが

ともかく、そのお母さんと娘さんが手をつないでいつもさみしそうに散歩をしている姿が忘れられず。
私はなんどか、近所で英語が話せる人間ということで、使命感を持って娘さんに話しかけたこともあったのですが、子供の英語は難しいし、日本語とも混ざってるので、おそらくお母さんしか分からなかったのじゃないかなあ。
(あたしの英語が酷かったという話もありますが)

そして、言葉が通じないことにいら立った彼女は、きいーーーと癇癪を起してしまうので、お友達もできず、、、という悪循環でした。
お母さんは多少日本語は話せたのだけど、たぶんその娘さんの癇癪を気にして余計に他の人と疎遠になっていったのではないか、という気がします。


その親子の思い出が余りに強かったので、娘が同世代のこどもとまずは自由に遊べるようになるようにということをここまでの教育方針にしてきました。(そしてできれば母親の私も孤立無援にならないようにするために)

そのかいあって、、、、娘の第一母語はすっかりスペイン語になりました。

ネイティブの親の子に比べてどうしても言葉の発達が遅い、と言われ心配していたのですが

心配どころか、チリ親の子と比べてもうちの子のほうがおしゃべりなくらいで、すぐに先生の真似をして仕切ろうとする始末。もうとにかくよくしゃべるしゃべる。(誰に似たかは言わずもがな)
前のハルディンの先生が娘が苦手な発音を気を付けて直してくれたおかげでもありますけれども
おかげでどこの学校の面接に言っても、スペイン語パーフェクトですねと褒められるくらいになりました。

そして

いーわねー 娘さん バイリンガルね、と言われるこようになったのですが


なんですが

ここまでのところ非常に複雑な気分でした。というのも、日本語は実のところ非常に手前のところで止まっていたからです。
こちらが日本語で言ってることはほとんど理解しているし、歌もよく歌っているのですが、彼女がコミュニケーションのために話す日本語はと言えば、動物や興味のあるものの名詞と、2,3つの動詞。それから寒いとか暑いとか、簡単な形容詞くらい。


いや、、、バイリンガルじゃなくて 完全なカステジャーノのモノリンガルになりつつあるな、、、もしかしたら日本語は思ったより時間がかかるかも。。。とちょっとあきらめつつありました。


特にここのところ、スペイン語でずいぶん自分の言いたいことが言えるようになったし、言いたいこともそれに伴ってより複雑になってきたため、日本語での語彙数が決定的に少ないのがめんどくさくなったのか、日本語で言うことすら嫌がるようになり
日本語を話して欲しがる母親との間に軽い緊張感が生まれたりして

決定的だったのは、日本人の子供達が集まっている音楽の会に連れて行ったところ
「日本人のお歌の会に行きたくない(スペイン語)<(`^´)>」ときっぱり言われてしまったのでした。

筋金入りの頑固血筋なので、嫌だと言ったらテコでも動きませんから。

あんまり嫌だというので、何かいう事聞かなかった時には
「いい子じゃないと日本人学校に入れるよ!」が脅し文句になったことも。(完全に逆効果)

まあ、そんなわけで、もうだめなものは押しても仕方ないな、と半ばあきらめつつ




日々嬉々としてチリ化していく娘を横目に

まあ、いつかビッグウェイブが来る。。。。はず。。。。

とプカプカと浮かんでいたところ





ここのところ急に、本当に急にスペイン語の語彙数が増えた娘の言ってることが、本気でわからなくなってきた私が

「わーん ママ言ってることがわからなーい。ちーさんが日本語勉強してくれないとママとお話できなくなっちゃうーーーどうしたらいいの~~~~涙」

と泣き言を言ったところ(結構本気)



「ママ大丈夫。泣かないで!うーん。日本語でなんていうのかなーー(スペイン語)」


まさかのあっさりと、日本語で話そうとしてくれるようになり。

押してもダメなら引いてみなと言いますが、娘の場合は、世話焼き気質を利用した泣き落としが正解だったようでした。


エンジンがかかったのか、あっという間に2語文、3語文らしきものを作るようになってきました。はやっ!
ちょっと話せるようになると楽しくなってきたのか、やたらと
「いま わたし にほんご はなす !」
とか日本語を話して褒められようとアピールしてくるようになってきたり、
「”~しまった” ってなに?」
とかわたしが話す日本語の文法がわからないところを質問してきたりするようになりました。
面白いなーと思うのは、話せもしないのにひらがなまで覚えようとしたり、わかんないことがあるとスペイン語でなんていうの?と聞いてきたり、第二外国語として日本語習得していながら、でも活用みたいなものは勘で活用させてるので母国語のようでもあり

その合間合間に
「me とってs」 とか、 「ごほんs」のように、スペイン語の文法規則を日本語にはめてみたり

こどもの脳って本当にすごいなーと改めて感動する日々です。


ただエンジンかかったのはいいんですが、夜寝る前に今まで3冊くらいで許してくれていた読み聞かせのご本のリクエストが
4冊5冊とどんどん増えて行ってるのが、嬉しいというか、苦しいというか、、、寝かせてほしいというか、、、

とにかくものすごいビッグウェイブがやってきました。

しかしここはできるだけ長く乗ってかないと!!!


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24 April

美容院に行ってみました

髪を切ってきました。
 
実はチリに来てから2年になりますが、今まで一度も美容院にいったことがありませんでした。
 
というのも、チリってなんだか女の人はみんな同じような髪型してまして、基本みんなロング。(ざっくりしすぎ?)
 
美容院の人もさぞかし楽なんじゃないのか、っていうくらい髪型に面白みがなく。
 
基本的にはショートが好きなのですが、この国で素敵なショートにしたいっていうのは至難の業っていう気がして
そんなこんなで毎日結んでたら、気が付けばすっかりロングになりまして
 
ロングのストレートなので、もう前髪だけ切ってりゃいいや>自分で前髪だけ切る>後ろは伸びる という流れで現在に至り。
 
でもついに最近後ろまで長くなりすぎてしまって、結ぶのも難しくなったので、えいやっと自分で後ろ髪を切ったところ、なんかおかしい事になってしまい、
 
ああもうさすがに年貢の納め時だ、というかんじで髪を切りたいと思った昨年末。
 
サンチャゴには有名な日本人の美容師さんが一人いまして、マンケウエあたりで営業されてるんですが、その方の電話番号を聞いたのはいいけど、引っ越してしまってまたもや行きそびれていたところ
 
友達のカロリナが、いい美容院が今の我が家から歩いて行けるところにある、と紹介してくれたので、さっそく行ってみることにしました。
 
 
紹介された美容院は全然スタイリッシュじゃない一軒家の、床屋兼美容院というところで
予約してくれたアレハンドロは、アントニオバンデラスがさらに長くなった感じのおじさん。
 
 
早速、どんな感じにするか聞かれたので、長さは結べるギリギリくらいで、適当にすいてもらうことにしました。
 
髪を洗うでもなく霧吹きでシャッシャと水をかけて ちゃっちゃか切りはじめたところで
 
眼鏡を取るように言われまして。
 
あたし眼鏡取るとほぼ何にも見えないんですが、どれくらい見えないかというと、もちろん鏡も見えないくらい見えなくて
もっと言えば鏡を10センチくらいに近づけて、逆に目しか見えないくらい近づけないと見えないのですが
 
でも美容院で何やってるか見えないのは今に始まったことではないし、オーダー自体簡単なので、そんな問題はあるまい、と思って言われた通り眼鏡を取りました。
 
 

それから切ること15分、その間一回眼鏡をかけて前髪の長さを指定。それからまた外して、また切ること5分くらい。

 
前髪切った辺りで、ちょっと前髪を薄くされたなーという気はしたのですが(チリトレンド)、まあしょうがない、前髪は自分で直せるし、とほっときました。
 
 
ほどなく切り終えると今度はブローを始めたのですが、このブローがものすごい念入りでびっくりしました。正直どうせ家に帰るだけなのに、なんでそんなパワフルにブローすんの?という気はしたんですけど
まあよく見えないので、ほっときました。
 
 
で、終わりに近くなったときに、今後の参考の為にアレハンドロに
「髪の毛ショートに切ったことある?」
と聞いたら、ある、というので、実はあたしはショートが好きなんだよね、という話をしたところ
 
 
「ビクトリア(ベッカム)とか、ダイアナ(王妃)みたいな頭にしたらいいんじゃないか」
という意見を頂戴し
 
・・・・ショートにするのは日本に帰った時にしよう、と心に決めました。
 
 
カットとブロー、ほぼ同じくらい時間をかけられて、念入りにブローされた結果
 
 
眼鏡をかけてみたら、キャサリンゼータジョーンズかよ!みたいな外巻(後頭部は膨らましてそのあと外巻)にされてて爆笑しました。
 
 
キャサリンゼータジョーンズになれて、1万ペソ(2000円)だったらある意味コスパ高いのかもしれないけど。どうなんだ。
 
 

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15 March

引越し運

この間の引越しで、さすがチリ、というか またありえないことが起こりまして。


引越し業者は私がネットの口コミで探したのですが、口コミ評価よかったし、見積もりもよかったので、電話で依頼
運び手4人とうちには十分な大きさのトラック、家具梱包つきで四万円というところ。(日本だったら30万はすると思う)
支払いは当日引越し終わった後現金、特に見積もりのための訪問もなく、エレベーターに入らないベッドやソファがあるよ、といっても、問題ない、ということで。まあなんて明朗会計。

じゃあお願いしますということで、前日に予約の確認の電話があって、当日朝、チリ人としてはさほど遅れずに到着。

で、4人で始めたところ、10分もしないうちに4人のうち一番年長者と思われる髭の男が、
自分がし切れると思って来たのに、とわけのわからない口論を始め、まさかの離脱。

1人いなくなったよ、なんだこの会社!と店長がクレームの会社に入れるも、3人でできると言い切る30代半ばの現場リーダー。(ちょっと感じ悪い)

残りは明らかに学生のバイト君です、10代後半のひ弱そうなぼくちゃんと、終始イヤフォンで音楽を聞いてる刺青だらけのマッチョ。と、感じ悪いリーダー。

なんか、もう最初っから嫌な予感。。。。
部屋から運び出すかかりの学生君に話を聞くも、日雇いの学生君は何も知らず、なんか大丈夫なのか、この引越しや、、、と不安に思いながらも

いや、でもそんなに荷物ないし、3人でも大丈夫だよ。ははは。と気を取り直し

それから働くこと1時間半、まだベッドもソファも大きなものは全く出てないところで、まさかの


学生君も怒ってほっぽりだしていなくなり。


なんだこの引越しや!!!と激怒する店長。

探して予約したあたしに怒りの矛先が向くことが憂鬱な私。あああ。この時点で2時は周り、どう見ても5時には終わらないよね、終わるはずないよね、引越し先に電気ついてないのに。今日は寝れるのか、とか、このままほっぽりだして皆帰っちゃったらどうするんだろう、とかもうありえないことがあり得るだけに、不安はマックス。

でもそのあと、えばった感じの悪い若い奴が社長の息子だということがわかり
さすがにみんないなくなることはないな、と少し落ち着きを取り戻したものの

残るは刺青だらけのマッチョのみ。マッチョが行ったり来たり、やるけど、なにせ一人なので全然進まない。
今度はしょうがなく社長の息子も登ってきたと思ったら、1階のトラックに誰も見張りがいないから1階で見張ってたほうがいいと言われる始末。

オイ!!!! うちの荷物下におきっぱなしかい!!!!盗まれるやろ!!!!



。。。


とそんなこんなで、結局店長はじめ、あたしも一緒に運ぶ手伝いをする羽目に。とほほのほ。


まあ、でも一緒に働いてみて分かったことは、この社長の息子の若いのが全く働かないでやたらえばるので
おそらくそれで2人ブチギレテ帰ったのだ、ということと

刺青だらけのマッチョは8か月の娘が生まれたばっかりで、いつもは炭鉱で働いてるけど娘のそばにいたいから引越しやをやってるという、こわもてのルックスの割に可愛い女の子のペンダントをぶら下げてる

チリ人には珍しくやたら働き者の男だということが分かり

この後この彼の奇跡的な頑張りにより、なんとか8時には引越しが終わり

私は彼にやたら感謝して、いらなくなった壊れたエルゴやら、娘のおもちゃやらをあげて
店長もおそらく彼の日当と同じくらいチップをはずんだので
こわもて刺青マッチョはホクホク顔で

やたらチップをアピールしていた社長の息子には当然渡さなかったのでそれなりの顔で
帰って行ったのでした。

ところで引越しも終わるころに、店長が
なんか引越しには運がない。この間もこんな目にあった気が、というので思い出したのですが

私達文京区から引っ越した時、【震災詐欺】に会いまして

どんなもんかと言いますと、文京区から引っ越す時に色々いらなくなったものがありましたので、
某SNSのあげますくださいコミュに出したところ、震災で被災した友達がいるから、全部欲しい。その代り引越しを手伝う
といいますので、じゃあ、あげますよ、と言ったところ

当日3人くらいの、およそボランティアをするようなタイプじゃない3人組の若者がやってきて、荷物を壮大に運びだし
階段や廊下に置いたあたりで、もう一人友人が来るけど道が分からないから迎えに行く、とかなんとかいいながらいなくなったので、

はて、

と気が付いたときには既に時遅し。連絡取り合ってた携帯に電話するも、

「おかけになった電話番号は現在使われておりません」


............................ (顔面蒼白)

いやーさすがにその時は頭が真っ白になりました。ははは。だって彼らをあてにしてたので、引越しやどころかトラックも何も準備してなかったし。

要は家じゅうのものを外に出すだけ出して、一番金目**の数点だけ持ってトンずらしたというわけでして。
家じゅうの家具が家にあるならまだしも、廊下どころか道路にまでおっぴろげられちゃってるし。まあどうしようと。

**とは言え、新品で買って数年だった冷蔵庫はともかく、あとの家電やベッドなんかは引き取ってもらうのにお金払うくらいのボロだったので、あんな手の込んだことをして、人の善意を踏みにじって詐欺するほどのものは何にもなかったのに、と、頭に来たのも一瞬で、車2台で3人がかりで売ってもせいぜい2万円にもならなそうなものを、人をだましてもって行った若い彼らのNO FUTUREさに、同情を禁じえませんでした。なんかねー、あまりにもシミッタレすぎてねえ。。。。

で、

結局店長の機転でその辺に歩いていた中学生?高校生?をスカウトし、バイト代払うから手伝えといって急遽借りてきたレンタカーのトラックに載せ


乗り切らなかった分は、震災ボランティアに行ってた近くのお寺さんに引き取ってもらったのでした。


まあそんなこんなで

我が家はつくづく引越し運ないなーーーーーーと思いました。



その夜、もう引越ししたくないってだけで、このマンション買いたい、と店長がつぶやきましたとさ。


ちゃんちゃん


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