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19 April

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19 September

和多屋の中の人の自己紹介

突然ですが今日は自己紹介をさせていただきます。

なんで突然自己紹介をしておかねばと考えるに至ったかと説明しますと、最近和多屋のお客さんがありがたいことに口コミで少しずつ広がってきているのですが、
そのため、今までは私のことを実際に知っているお客さんが多かったのですが、
新しいお客さんはそもそも

和多屋ってなに?誰?なんでチリに住んでるの?

という感じだと思いますので、まずは和多屋の中の人の説明をしておかねばと思ったのですが、それを書く場所として適切な場所がなかったので、まあじゃあここに書いて置こうかな、ということで。




それも、ちょうど大昔(ユヤイ時代 弥生ではない)のお客様からちょうどこのブログにメッセージをいただいたこともあって、すっかり個人のボヤキとかしていたこのブログをまた少しお客様向けに書いていこうかと思い始めたりして。


そもそもこのブログですが、10年以上も前にさかのぼります。
その当時、このブログのタイトルはゆやブログでした。

さかのぼること14年、2005年にわたくしはチリから出張名目で来ていたワダコウタと結婚し、チリワインショップユヤイ、という日本初のチリワイン専門インポーター兼オンラインショップを始めました。ゆやブログはその当時、ワインショップユヤイ、のためのブログだったのです。


説明すると長い話なので、端折りまくりますが、私はワダと会う前は輸入民芸品を扱う横浜の会社で働いていて、お店で販売したり、インドやタイや南米の生産者と民芸品を企画したりするというお仕事をしていました。そこで得た経験から、そのあとはインターネットのマーケティングリサーチ会社で働いたり、NPOのお手伝いをして藍染のTシャツを作ってイベントで売りあるいたり、古着を仕入れて代々木のフリマで販売したり、まあ若気の至りでなんか色々なことをしていたわけです。


そこで当時チリ在住でチリのワインを輸出するという名目で日本に来ていたワダコウタと知り合い、結婚します。


その当時チリワインというものは、ガトネグロ(当時600円くらい?)ぐらいのイメージで、安いだけのイメージで、卸先を見つけるというのは簡単ではありませんでした。

当時インターネットのマーケティングリサーチ会社で働いていた私は、飲食店や卸先を見つけるより、小さい小売業にネットショップ+ロングテイルは相性がいい、ということはリサーチしていて知ってましたし、毎日そんな調査ばかりしていましたし、
民芸品屋時代からイラストレーターやフォトショップ、エクセル、アクセスなんかはいじくりまくっていた経緯もあり、食品ではなかったものの、輸入して卸、直接小売りする流れも前職の経験でありましたので、ネットショップを作ってみることにあまり抵抗感がありませんでした。そんなことで、チリワインショップユヤイを二人で始めてみることにしました。

ユヤイは当時全く紹介されていなかったチリの上質なワイン、ブティックワインや超高級ワインを、情報と一緒にお届けするという、全く他に例をみないチリワイン専門ポータルでしたので、商売として成功とまでは言えませんでしたが、チリワインの日本での地位向上にはかなり貢献しましたし、こうして閉じてから10年もたつのに、思い出してブログに書き込んで下さるお客様がいたりして。
商売的にはうまく行きませんでしたが、いいお客様に恵まれたいい会社でした。

ユヤイは当時住んでいた文京区に、ユヤイ文京倉庫というミニ店舗を作るまでにいたりますが、2010年に娘が生まれ、娘の将来を考えてチリに移住することを決意します。

その時には、ワダはユヤイで小売りをする傍ら、チリワインの生産者とインポーターの間に入るような仕事が増えていたのと、本人に前からもっと生産に関わりたいという希望があったこと、
娘を海外で育ててみたいという私の希望と、ユヤイの日本での可能性の行き詰まりとか、色々な要素がありましたが、

カミノレアルという当時関係のあったワイナリーでワダが生産管理を任せてもらえることになり、チリに引っ越してきました。

チリに来てからも、ユヤイは数年は続けてきたのですが、スペイン語が全く話せない中での、チリでの子育てをしながらの日本のインターネットショップの運営、さらに入出庫の管理やら問題が起きたときの対応をし続けることはできず、最後にたちの悪い詐欺まがいの共同運営という言葉に引っかかってしまい、結局10年目でユヤイはサイトを閉鎖します。


それから数年は私は主に子供の教育や、自分のスペイン語の勉強やら、日々の活動でいっぱいいっぱいでした。幼稚園を決めるとか、学校を決めるとか、細かいことはこのブログをさかのぼって読んでいただけばわかりますが、毎日がカオスでした。

そんなカオスの中で一番悩みの種は日々の食事、何を食べるか、安全な食をどう確保するか、でした。もともと日本にいたときからワイン屋だったこともあり、味噌や梅干しやパンを作っていたり、有機野菜やお米は直接農家から購入して買うような生活をしていたので、食の安全には色々考えるところがありましたが、チリで安心して食べられるものを、と考えるとそれは壮大な手間でした。なにしろネットで買って明日届く世界ではないからです。


でも、娘が小学校2年生になって自分のことを自分でできるようになり、私の時間もまた少し持てるようになってきたので、
何か自分のプロジェクトが持ちたいなと考えたとき、サンチャゴに来て以来いつも大変な時間と手間をかけて、自分の食べたいものを探したり作ってたりしてきた、これを自分のプロジェクトにするしかないな、と思うに至ります。


サンチャゴで安心して美味しいものを食べるというのは、お金を払えば買えるものではないというのはこの9年のサンチャゴ生活で知っていましたので、信頼できる生産者を探す、自分で探して作る、料理する以外の道はなく、でもそれにはものすごい時間と手間がかかり、働きに出てしまったらそれが不可能になることは非を見るより明らかでした。だったらもうこれを商売にするしか道はない、というのが私の出した結論でした。


それに、知り合いの駐在さんの奥様方や、日系のお友達が私の作ったものを喜んで買ってくださることはそれまでのミニ販売の経験からもわかっていました。
この国は輸入したものは入ってくるし、すぐにみんな真似をする、でも手作りのものや、生の物ならそんなに簡単にライバルは現れないし、自分のペースで働くことができる。
サンチャゴで子育てしながら、自分の作ったものを喜んで買ってもらえるならこれほど素晴らしいことはない。。。



もうこれはやるしかない、そしてやるなら製麺だ!

どうして製麺に行きついたかというと、まず自分がうどんが大好きなこと。(笑)
美味しいうどんが食べたいときにいつでも食べられたら心配ないこと。そして自分が小麦粉アレルギーだから遺伝子組み換え食品じゃない小麦粉で作ったうどんじゃないと食べられないから、自分が納得できる粉で作りたかったこと。

弱った時や、疲れたとき、子供も食べられる、そして簡単に作れる、お母さんが助かる
信頼できるファーストフードがない、弁当屋みたいなものがないサンチャゴで、麺があれば母は助かる、まず麺というものは本当に素晴らしい。笑

そしてラーメンは今世界で大人気。ラーメンが売れてくれれば商売も軌道に乗るかもしれない。
とにかく会社がつぶれなければ、納豆つくったり、餃子作ったり別の物にも手が回る。


と2018年のこちらの夏、日本の冬に2か月日本に帰った時に、うどん製麺学校というものに通い、そのあと製麺工場を視察。
新車の中型車くらいの製麺機を購入し、サンチャゴに輸送してきました。


と、同時にチリ政府の機関であるSercotecの女性の起業支援のための補助金コンテストに応募。


女性の起業支援の補助金コンテストの1000ほどの応募の中から、書類選考、面接の末、90位以内に選ばれ、無事補助金70万円ほど、をいただきまして


2018年6月19日に、和多屋フードサービスSPAを法人登記しました。


2018年から19年の6月までは、Mi otra passionという別の会社の中の工場を間借りして生産していましたが、今年の6月住居と工場を一つにするべく引っ越しをしまして
現在は、生産だけを別会社(daidokoro)として登記し、セレミ(衛生管理局みたいなもの)の申請を取るべく、ただいま奮闘中です。


主人のワダはワイナリーで働きながら、チリの米で作った純米酒図南鳳翼を作ったりしておりまして、和多屋フードサービスはその販売紹介窓口もしております。




以上長くなりましたが、ここまでの経緯方、自己紹介でした。



和多屋代表
和田わかな

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