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25 November

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26 April

ビッグウェイブがやってきた

3月末に3歳になった娘ですが、ついに待ちに待っていたビッグウェイブがやってきました。

はい、日本語の波です。

3歳-4歳で入学面接試験を受けなくちゃいけないチリの学校事情を不安視してきた我が家は
娘をかなり長い時間保育園に意識的に預けてきました。(なぜなら私が全くスペイン語を話せなかったので)

背景には私がまだ学生だったころ、日本の実家の隣に住んでいたアメリカ人のお母さんとその娘さんのことを見ていたからというのがありました。



その家族は日本人の旦那さんとアメリカ人の奥さんと、娘さんの3人家族でした。
お母さん(英語教師)があんまり日本語を話せなかったこともあり、たぶんお母さんも寂しかったんだと思うのですが、周りに仲の良い友人がいるようでもなかった奥さんが、娘さんと親子二人でずっと英語で話していた結果、娘さんが幼稚園に上がるころになっても日本語が全く話せるようにならず、近所にお友達もできず、田舎だったこともあって、幼稚園も辞めざるをえなくなり
ついにはお母さんがノイローゼになってしまって、離婚してアメリカに帰って行ってしまったということがありました。

言葉の問題がなくても育児ノイローゼになる人だっているのに、周りに家族もいない(義理はいるかもしれないけど)、サポートもない状況でどれくらい大変だっただろうかと、今にして思えば想像に難くないのですが

ともかく、そのお母さんと娘さんが手をつないでいつもさみしそうに散歩をしている姿が忘れられず。
私はなんどか、近所で英語が話せる人間ということで、使命感を持って娘さんに話しかけたこともあったのですが、子供の英語は難しいし、日本語とも混ざってるので、おそらくお母さんしか分からなかったのじゃないかなあ。
(あたしの英語が酷かったという話もありますが)

そして、言葉が通じないことにいら立った彼女は、きいーーーと癇癪を起してしまうので、お友達もできず、、、という悪循環でした。
お母さんは多少日本語は話せたのだけど、たぶんその娘さんの癇癪を気にして余計に他の人と疎遠になっていったのではないか、という気がします。


その親子の思い出が余りに強かったので、娘が同世代のこどもとまずは自由に遊べるようになるようにということをここまでの教育方針にしてきました。(そしてできれば母親の私も孤立無援にならないようにするために)

そのかいあって、、、、娘の第一母語はすっかりスペイン語になりました。

ネイティブの親の子に比べてどうしても言葉の発達が遅い、と言われ心配していたのですが

心配どころか、チリ親の子と比べてもうちの子のほうがおしゃべりなくらいで、すぐに先生の真似をして仕切ろうとする始末。もうとにかくよくしゃべるしゃべる。(誰に似たかは言わずもがな)
前のハルディンの先生が娘が苦手な発音を気を付けて直してくれたおかげでもありますけれども
おかげでどこの学校の面接に言っても、スペイン語パーフェクトですねと褒められるくらいになりました。

そして

いーわねー 娘さん バイリンガルね、と言われるこようになったのですが


なんですが

ここまでのところ非常に複雑な気分でした。というのも、日本語は実のところ非常に手前のところで止まっていたからです。
こちらが日本語で言ってることはほとんど理解しているし、歌もよく歌っているのですが、彼女がコミュニケーションのために話す日本語はと言えば、動物や興味のあるものの名詞と、2,3つの動詞。それから寒いとか暑いとか、簡単な形容詞くらい。


いや、、、バイリンガルじゃなくて 完全なカステジャーノのモノリンガルになりつつあるな、、、もしかしたら日本語は思ったより時間がかかるかも。。。とちょっとあきらめつつありました。


特にここのところ、スペイン語でずいぶん自分の言いたいことが言えるようになったし、言いたいこともそれに伴ってより複雑になってきたため、日本語での語彙数が決定的に少ないのがめんどくさくなったのか、日本語で言うことすら嫌がるようになり
日本語を話して欲しがる母親との間に軽い緊張感が生まれたりして

決定的だったのは、日本人の子供達が集まっている音楽の会に連れて行ったところ
「日本人のお歌の会に行きたくない(スペイン語)<(`^´)>」ときっぱり言われてしまったのでした。

筋金入りの頑固血筋なので、嫌だと言ったらテコでも動きませんから。

あんまり嫌だというので、何かいう事聞かなかった時には
「いい子じゃないと日本人学校に入れるよ!」が脅し文句になったことも。(完全に逆効果)

まあ、そんなわけで、もうだめなものは押しても仕方ないな、と半ばあきらめつつ




日々嬉々としてチリ化していく娘を横目に

まあ、いつかビッグウェイブが来る。。。。はず。。。。

とプカプカと浮かんでいたところ





ここのところ急に、本当に急にスペイン語の語彙数が増えた娘の言ってることが、本気でわからなくなってきた私が

「わーん ママ言ってることがわからなーい。ちーさんが日本語勉強してくれないとママとお話できなくなっちゃうーーーどうしたらいいの~~~~涙」

と泣き言を言ったところ(結構本気)



「ママ大丈夫。泣かないで!うーん。日本語でなんていうのかなーー(スペイン語)」


まさかのあっさりと、日本語で話そうとしてくれるようになり。

押してもダメなら引いてみなと言いますが、娘の場合は、世話焼き気質を利用した泣き落としが正解だったようでした。


エンジンがかかったのか、あっという間に2語文、3語文らしきものを作るようになってきました。はやっ!
ちょっと話せるようになると楽しくなってきたのか、やたらと
「いま わたし にほんご はなす !」
とか日本語を話して褒められようとアピールしてくるようになってきたり、
「”~しまった” ってなに?」
とかわたしが話す日本語の文法がわからないところを質問してきたりするようになりました。
面白いなーと思うのは、話せもしないのにひらがなまで覚えようとしたり、わかんないことがあるとスペイン語でなんていうの?と聞いてきたり、第二外国語として日本語習得していながら、でも活用みたいなものは勘で活用させてるので母国語のようでもあり

その合間合間に
「me とってs」 とか、 「ごほんs」のように、スペイン語の文法規則を日本語にはめてみたり

こどもの脳って本当にすごいなーと改めて感動する日々です。


ただエンジンかかったのはいいんですが、夜寝る前に今まで3冊くらいで許してくれていた読み聞かせのご本のリクエストが
4冊5冊とどんどん増えて行ってるのが、嬉しいというか、苦しいというか、、、寝かせてほしいというか、、、

とにかくものすごいビッグウェイブがやってきました。

しかしここはできるだけ長く乗ってかないと!!!


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24 April

美容院に行ってみました

髪を切ってきました。
 
実はチリに来てから2年になりますが、今まで一度も美容院にいったことがありませんでした。
 
というのも、チリってなんだか女の人はみんな同じような髪型してまして、基本みんなロング。(ざっくりしすぎ?)
 
美容院の人もさぞかし楽なんじゃないのか、っていうくらい髪型に面白みがなく。
 
基本的にはショートが好きなのですが、この国で素敵なショートにしたいっていうのは至難の業っていう気がして
そんなこんなで毎日結んでたら、気が付けばすっかりロングになりまして
 
ロングのストレートなので、もう前髪だけ切ってりゃいいや>自分で前髪だけ切る>後ろは伸びる という流れで現在に至り。
 
でもついに最近後ろまで長くなりすぎてしまって、結ぶのも難しくなったので、えいやっと自分で後ろ髪を切ったところ、なんかおかしい事になってしまい、
 
ああもうさすがに年貢の納め時だ、というかんじで髪を切りたいと思った昨年末。
 
サンチャゴには有名な日本人の美容師さんが一人いまして、マンケウエあたりで営業されてるんですが、その方の電話番号を聞いたのはいいけど、引っ越してしまってまたもや行きそびれていたところ
 
友達のカロリナが、いい美容院が今の我が家から歩いて行けるところにある、と紹介してくれたので、さっそく行ってみることにしました。
 
 
紹介された美容院は全然スタイリッシュじゃない一軒家の、床屋兼美容院というところで
予約してくれたアレハンドロは、アントニオバンデラスがさらに長くなった感じのおじさん。
 
 
早速、どんな感じにするか聞かれたので、長さは結べるギリギリくらいで、適当にすいてもらうことにしました。
 
髪を洗うでもなく霧吹きでシャッシャと水をかけて ちゃっちゃか切りはじめたところで
 
眼鏡を取るように言われまして。
 
あたし眼鏡取るとほぼ何にも見えないんですが、どれくらい見えないかというと、もちろん鏡も見えないくらい見えなくて
もっと言えば鏡を10センチくらいに近づけて、逆に目しか見えないくらい近づけないと見えないのですが
 
でも美容院で何やってるか見えないのは今に始まったことではないし、オーダー自体簡単なので、そんな問題はあるまい、と思って言われた通り眼鏡を取りました。
 
 

それから切ること15分、その間一回眼鏡をかけて前髪の長さを指定。それからまた外して、また切ること5分くらい。

 
前髪切った辺りで、ちょっと前髪を薄くされたなーという気はしたのですが(チリトレンド)、まあしょうがない、前髪は自分で直せるし、とほっときました。
 
 
ほどなく切り終えると今度はブローを始めたのですが、このブローがものすごい念入りでびっくりしました。正直どうせ家に帰るだけなのに、なんでそんなパワフルにブローすんの?という気はしたんですけど
まあよく見えないので、ほっときました。
 
 
で、終わりに近くなったときに、今後の参考の為にアレハンドロに
「髪の毛ショートに切ったことある?」
と聞いたら、ある、というので、実はあたしはショートが好きなんだよね、という話をしたところ
 
 
「ビクトリア(ベッカム)とか、ダイアナ(王妃)みたいな頭にしたらいいんじゃないか」
という意見を頂戴し
 
・・・・ショートにするのは日本に帰った時にしよう、と心に決めました。
 
 
カットとブロー、ほぼ同じくらい時間をかけられて、念入りにブローされた結果
 
 
眼鏡をかけてみたら、キャサリンゼータジョーンズかよ!みたいな外巻(後頭部は膨らましてそのあと外巻)にされてて爆笑しました。
 
 
キャサリンゼータジョーンズになれて、1万ペソ(2000円)だったらある意味コスパ高いのかもしれないけど。どうなんだ。
 
 

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15 March

引越し運

この間の引越しで、さすがチリ、というか またありえないことが起こりまして。


引越し業者は私がネットの口コミで探したのですが、口コミ評価よかったし、見積もりもよかったので、電話で依頼
運び手4人とうちには十分な大きさのトラック、家具梱包つきで四万円というところ。(日本だったら30万はすると思う)
支払いは当日引越し終わった後現金、特に見積もりのための訪問もなく、エレベーターに入らないベッドやソファがあるよ、といっても、問題ない、ということで。まあなんて明朗会計。

じゃあお願いしますということで、前日に予約の確認の電話があって、当日朝、チリ人としてはさほど遅れずに到着。

で、4人で始めたところ、10分もしないうちに4人のうち一番年長者と思われる髭の男が、
自分がし切れると思って来たのに、とわけのわからない口論を始め、まさかの離脱。

1人いなくなったよ、なんだこの会社!と店長がクレームの会社に入れるも、3人でできると言い切る30代半ばの現場リーダー。(ちょっと感じ悪い)

残りは明らかに学生のバイト君です、10代後半のひ弱そうなぼくちゃんと、終始イヤフォンで音楽を聞いてる刺青だらけのマッチョ。と、感じ悪いリーダー。

なんか、もう最初っから嫌な予感。。。。
部屋から運び出すかかりの学生君に話を聞くも、日雇いの学生君は何も知らず、なんか大丈夫なのか、この引越しや、、、と不安に思いながらも

いや、でもそんなに荷物ないし、3人でも大丈夫だよ。ははは。と気を取り直し

それから働くこと1時間半、まだベッドもソファも大きなものは全く出てないところで、まさかの


学生君も怒ってほっぽりだしていなくなり。


なんだこの引越しや!!!と激怒する店長。

探して予約したあたしに怒りの矛先が向くことが憂鬱な私。あああ。この時点で2時は周り、どう見ても5時には終わらないよね、終わるはずないよね、引越し先に電気ついてないのに。今日は寝れるのか、とか、このままほっぽりだして皆帰っちゃったらどうするんだろう、とかもうありえないことがあり得るだけに、不安はマックス。

でもそのあと、えばった感じの悪い若い奴が社長の息子だということがわかり
さすがにみんないなくなることはないな、と少し落ち着きを取り戻したものの

残るは刺青だらけのマッチョのみ。マッチョが行ったり来たり、やるけど、なにせ一人なので全然進まない。
今度はしょうがなく社長の息子も登ってきたと思ったら、1階のトラックに誰も見張りがいないから1階で見張ってたほうがいいと言われる始末。

オイ!!!! うちの荷物下におきっぱなしかい!!!!盗まれるやろ!!!!



。。。


とそんなこんなで、結局店長はじめ、あたしも一緒に運ぶ手伝いをする羽目に。とほほのほ。


まあ、でも一緒に働いてみて分かったことは、この社長の息子の若いのが全く働かないでやたらえばるので
おそらくそれで2人ブチギレテ帰ったのだ、ということと

刺青だらけのマッチョは8か月の娘が生まれたばっかりで、いつもは炭鉱で働いてるけど娘のそばにいたいから引越しやをやってるという、こわもてのルックスの割に可愛い女の子のペンダントをぶら下げてる

チリ人には珍しくやたら働き者の男だということが分かり

この後この彼の奇跡的な頑張りにより、なんとか8時には引越しが終わり

私は彼にやたら感謝して、いらなくなった壊れたエルゴやら、娘のおもちゃやらをあげて
店長もおそらく彼の日当と同じくらいチップをはずんだので
こわもて刺青マッチョはホクホク顔で

やたらチップをアピールしていた社長の息子には当然渡さなかったのでそれなりの顔で
帰って行ったのでした。

ところで引越しも終わるころに、店長が
なんか引越しには運がない。この間もこんな目にあった気が、というので思い出したのですが

私達文京区から引っ越した時、【震災詐欺】に会いまして

どんなもんかと言いますと、文京区から引っ越す時に色々いらなくなったものがありましたので、
某SNSのあげますくださいコミュに出したところ、震災で被災した友達がいるから、全部欲しい。その代り引越しを手伝う
といいますので、じゃあ、あげますよ、と言ったところ

当日3人くらいの、およそボランティアをするようなタイプじゃない3人組の若者がやってきて、荷物を壮大に運びだし
階段や廊下に置いたあたりで、もう一人友人が来るけど道が分からないから迎えに行く、とかなんとかいいながらいなくなったので、

はて、

と気が付いたときには既に時遅し。連絡取り合ってた携帯に電話するも、

「おかけになった電話番号は現在使われておりません」


............................ (顔面蒼白)

いやーさすがにその時は頭が真っ白になりました。ははは。だって彼らをあてにしてたので、引越しやどころかトラックも何も準備してなかったし。

要は家じゅうのものを外に出すだけ出して、一番金目**の数点だけ持ってトンずらしたというわけでして。
家じゅうの家具が家にあるならまだしも、廊下どころか道路にまでおっぴろげられちゃってるし。まあどうしようと。

**とは言え、新品で買って数年だった冷蔵庫はともかく、あとの家電やベッドなんかは引き取ってもらうのにお金払うくらいのボロだったので、あんな手の込んだことをして、人の善意を踏みにじって詐欺するほどのものは何にもなかったのに、と、頭に来たのも一瞬で、車2台で3人がかりで売ってもせいぜい2万円にもならなそうなものを、人をだましてもって行った若い彼らのNO FUTUREさに、同情を禁じえませんでした。なんかねー、あまりにもシミッタレすぎてねえ。。。。

で、

結局店長の機転でその辺に歩いていた中学生?高校生?をスカウトし、バイト代払うから手伝えといって急遽借りてきたレンタカーのトラックに載せ


乗り切らなかった分は、震災ボランティアに行ってた近くのお寺さんに引き取ってもらったのでした。


まあそんなこんなで

我が家はつくづく引越し運ないなーーーーーーと思いました。



その夜、もう引越ししたくないってだけで、このマンション買いたい、と店長がつぶやきましたとさ。


ちゃんちゃん


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12 March

02

気が付いたら三が日から更新してなかったこのブログ。

振り返って1月。新年早々ユヤイ設立以来のオオポカを店長がやらかし、その残務処理と夏学級で不機嫌絶頂の娘の世話に追われてとほほ。
日本からのお客さんのアテンドで店長ほぼ半月出張で家に戻らず。

2月、3月から幼稚園を転園することにしたので(今までのハルディンからコレヒオの付属に)そのための引越し先探しと、引越し業者選定。
3月で転園なので、その前に娘の誕生日会の準備。
と同時の決算準備。決算前の棚卸が全く合わず、夜中インターネット電話で日本の倉庫の人と在庫調整の日々。
昼はと言えば夏学級で不機嫌絶頂の娘の相手にとほほ。
疲労と食あたり?で一家で潰れること数日。


そして3月。ついに新しい園での生活が始まり。
お弁当+おやつ*2を毎日準備して持たせる生活スタート。と同時に、お引越しの準備。そしてお引越し後の開梱。
お引越しで相手にされなくて、邪魔しまくる娘の相手でとほほ。夜中彼女の寝た後に、ひとりお片付け&弁当準備。

そして現在。昨日やっとネットがつながり、娘と店長出勤。ほっと一息。コーヒータイムの現在朝9時半。ほほほ。


というかんじで、ようやくちょっと生き返りました。
もうちょっとまめに更新したいなと、これ更新するたびに同じことを書いてる気もしますが。ははは。


ばたばた生きている間にあれから2年ですね。
2年前の自分達は今ここにいる自分達を想像だにしていなかったですが。

でも私2年前の3月11日から数日のことは今でも鮮明に覚えているのですが、たぶん日本にいる人よりも、その時の記憶が他の何かに上書きされないだけにそのまま保存されているのかと思います。そこだけ何回もリピートしているみたいな。

未だに枝野さんの「ただちに影響ない」を繰り返してたテレビの画像とか、菅さんのうつろな目とか、メルトダウンしてないとか言ってたNHKの解説員のこととか、アエラの表紙に文句つけてた人のこととか。

たぶんそのせいかと思うのですけど

この間たまたま大使館で1年ぶりくらいに日本のテレビ(NHK)見たら、なんかものすごい違和感ありました。
まるで上書きされてなんもかも消されていってる感じがしました。

でもまだ2年しかたってないんですよね。



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08 January

piscina プール

相変わらず暑苦しい新年らしくない新年、仕方なく餅を食べて迎えた1月3日
 
早くも娘のTaller de verano(サマースクール)開始。
 
去年のtaller de veranoがあんまり質が良くなかったので今年はどうしようかと思ったけど
結局3月からのコレヒオも無事決まったので、引越しもしなくちゃいけないし、
なんだかんだ忙しいので手が回らないということで、2月いっぱいは今までと同じハルディンのtaller de veranoにお願いすることに。
 
なんやかんや問題あるとはいえ、毎日プールに入れてもらえるのは、この暑さでは遊びまわれない子を持つ親にとってはありがたい限り。
 
この間も夕方6時過ぎから8時くらいまで公園につき合わされへとへとになって帰ってきたら、帰ってきた店長に
「飲んでたの?」などと聞かれる始末。
 
んなわけないだろ!焼けたんだよ!

・・・・と、

 
とにかく1時間も外に出たら、こどもはともかく母はぐったり。
年と紫外線には勝てないわ~~ ふう。
 
 
 
ところで、プールと言えばサンチャゴのプールの家庭の普及率は結構高くてですね。

 
ちょっとした素敵なデパルト(素敵じゃないのにも)プールがついてるし、一軒家にも結構ついてたりする。
(もちろんそこそこお値段する家のことだけど)


今時分ホームセンターなどに行けば、大人も入れるくらいの大きさの巨大な設置型のプールが売り場に並んでいたりして、夏の長いサンチャゴ市民にとってのプールへの思いをヒシヒシ感じられるわけですが


一方で日本人はと言えば、ある程度大人になるとプールと言えばスポーツクラブで入ればいいじゃん的な位置づけで、
 
かくいう私も、去年の12月今のデパルタ(マンション)に引っ越してきた時、プールなんて贅沢品いらないでしょ、とプール無しの家賃の安い今のデパルタを選んだわけですけれども
 
 
今回あらたに引越すとなった時に引越すとしたら、絶対プールつきがいいと思う今日この頃。
しかもたぶん住みたい地域にデパルタがないので、プールつきの一軒家。。。。
(いわゆる地下鉄のそばの地域ではなくて、山のほうなので家しかない)

 
店長からは冬は使わないし、冬は使えない場所が増えるだけだし、ついてるだけで家賃が1万2万と違うし、管理もめんどくさいし、いらない、とくぎを刺されているのですけども、私だけは不動産情報のpiscinaの文字を探しちゃってたりして。
 
 
合理的に考えると確かにプールなんていらない! 掃除もめんどくさい!のに、何故急にこんなにプールが欲しいと思うに至ったのか考えてみたのですが。
 
 
日本にいたらプールつき一軒家とか、どんだけ豪邸だよ!と思うと思うんですけれども

 
でも日本ってみんなお風呂ついてるじゃないですか。。。。池のある家ってあるじゃないですか。。。。
河のそばとか、海のそばとか、なんかしらあるじゃないですか。。。。
でもサンチャゴの家には水ってプールしか可能性がないっていうか。。。。涙
 
 
 
こちらにきて1年6か月たつのですが、今まで私日本の何が一番恋しいかって、それはお風呂、温泉、っていうか水なんです。。。
 
 
 
私日本で神奈川県の湘南の端っこで育ったもので、中学、高校、そして自宅からも”常に海が見える”環境で育ちまして。
 
まあ、普通に川もありましたし、ものすごく水が近くに常にあるのが普通だったので、やっぱり水辺が好きなんですね。
 
一番落ち着くのはやっぱり水のあるところで。しかも箱根も近かったので、週末ぷらっと温泉とか普通だったんですね。
 
 
 
 
 
で、このサンチャゴっていうところは、全く水がない。川と言えば農業用水路くらいの水量しかない茶色いマポチョくらいで。ともかく水が見える環境がない。そもそも雨もあんまり降らないし。全体的に慢性の水不足だし。。。。
 
加えて、こっちに来てから、仕事で要があるのはワイナリーばっかりで、海や川にいったことがない。
 
 
そんなわけで、この1年6か月のうち、水辺で過ごせたのは、3日くらいだったので、ここのところ、水辺に行きたい~水辺に連れてけ~と、死にかけのカッパみたいになりつつあったわけですが
 
 
そんな積りに積もった状態で、この間ついうっかり 「テルマエロマエ」なんて映画を見てしまって。
 
 
 
 
ぎゃーーーーーーーーーー
 
 
 
もう温泉。。温泉に行きたい。いやむしろ掘りたい。いつか自宅に露天風呂だーーーーーー!!
みたいな妄想に取りつかれてしまい。
あまりにうるさかったのか、店長に、ワイナリーから樽もらって来て五右衛門風呂でどうか、と慰められる始末。
 
 
露天風呂が無理ならまずはプールでもいい。とにかく浸からせろーーーーーーーーーーーー!! ひからびる~~!!!!
 
みたいなことになっているのでした。(でも塩素くさいスイミングプールに入りたいわけじゃなくて、あくまでも漬かりたいだけ。)
 
 

はあ。。。。


チリ人から見たら、家につかいもしない、金魚がいるだけの”池”がある方がよっぽど贅沢なんだろうと思いますよ。おそらく。

 
それに、サンチャゴから見ると日本の
 
 
”源泉かけ流し”
 
 
って狂気の沙汰です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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