前も書いたかもしれないけど、バイリンガル子育ての一番の難関は、母国語じゃない言葉で詩を読むことだと思う。
詩に比べたら、税務関係の書類なんて、イージーピージージャパニージーってなもんである。
だいぶ本が読めるようになって、本が好きになってきたチーさんだったのに、今月の課題図書がよりにもよって、ガブリエラミストラルの詩集のため、二人でうなりながら読んでみているのだけど、1ページを理解するのに30分以上かかってしまい、意気消沈して、気が萎えていく一方。
これではまた活字嫌いに戻ってしまう。。。
昨日も、じゃあママがこのページを最初に読んでみよう、と言って読み始めた詩がパイナップルの詩だったのだけど、
まず最初から
畑で生きていけるように、お母さんは武器を持たせたのだ」(結構適当な訳)
このアマゾンが、EL Amazonas(アマゾン河)じゃなくて、小文字の la amazona (アマゾネス、女傑、つまりパイナップル)のことだとわかるまでに10分以上はかかるのだけど、まず、チーさんの、これはアマゾンジャングルの環境破壊の話だよね、一把の短剣というのは、パイナップルの木のことでしょ?みたいな話から始まり、結局はパイナップルの頭の上の部分のとんがり?のことなんだ、ということに行きつくまでに、またかなりの時間がかかり。。。
こんな比喩が次々に続くのだけど、その比喩が日本と例える物が違うのでやたら理解するのに時間がかかる。
サバ。。。これがシバの女王のことだというのは、まあなんとなく、わかっても、シバの女王って誰だっけ?ソロモン王?誰ですか??。。。というGoogle wikipediaのメイキュウにはまっていく。このあたりになると、もう、本を読んでる時間よりグーグルを読んでる時間のほうが長い。
サバの女王はソロモン王に関係ある人で、聖書に出てくる有名人物らしいのだけど、そもそも聖書読みなれてないと、この比喩が全くピンともスントも来ない。
ましてや子供に説明するほど自分がわかってない。
この人が出てきたら、どういう気分になればいいのだろうか。
怖いのだろうか。キラキラしてるのだろうか。
普通のチリ人の親はこのサバの女王が出てきたらどんなコードを読み取るのだろうか。
全く絵が浮かんでこないから詩を読んでもピントが全く合わない。。。
聖徳太子の烏帽子、とか言われたらピントくるんだけど。。。
結局詩というのはいろんなコードがちりばめられた短い文章でできた絵みたいなものを見ることだと思うのだけど、そのコードというのは割と子供時代のわらべ歌や、母親から受け継がれるようなものなんかと関係があるものなんではないかと思う。原体験っていうやつである。
それは私に100%かけているものなわけで。当然娘にもないわけで。
ああやっぱり、最低でも聖書は読まないとだめなんだろうな。厳しいねえ。